2014年1月5日新年に行われた武蔵御嶽神社撮影会。
部長賞に選ばれた、部員の星野さんによる撮影会レポートです!!
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武蔵御嶽神社へ
JR青梅駅からさらに奥地に、JR御岳駅に着いたときはずいぶん遠いなって思いましたが、
さらにそこからもバスとケーブルカーで御岳山駅へ。
御岳神社へはそこから歩いて25分とまさに天空の城へ行った気分を味わえました。
新年に相応しい山岳信仰の地、天気も晴天で空気も澄み渡りきりっと張りつめた空気が
初詣にぴったりでした。
顔がこわばる寒さでしたが、皆さん笑顔で楽しい一日となりました。
部長挨拶
事務局から今回の御岳神社は、かなり遠いので集まらないと心配したけど、
多くの部員さんが集まってくれましたとのコメント。
部長からも、今年は今迄以上に、東京観光写真倶楽部に力を入れるとの表明と、
今後の倶楽部の方向性や写真展への考えが示されました。
まさに、一年のスタートを飾る言葉を頂いた感じです。
天空の街
滝本駅からケーブルカーで天空の街、御岳山駅へ、
そしてそこから御岳神社までは天空の街を歩いて25分、
神社までの街並みも神秘的な雰囲気と古くからの村の生活が感じられて、
切り撮りたいスポットがたくさんありました。
晴天で、山の上の青空が広がり強い光が降り注いでいたので、
どこを見渡しても光が溢れていました。
ちょっとした影を見つけると、光と影の境界が出来ていて、シャツターを切るのが楽しかったです。
御岳山荘
何気なく板塀をたどり、御岳山荘という看板の門構えが眼に止まったので、門の中をのぞいてみると、
強い光に照らされた庭が出てきました。
光と影の境界が出来ていたので、周りの板塀と門の中の庭を7ショット程撮りました。
今回、光と影の織り成すシーンを部長賞に選んで頂きました。
自分でも撮るときは、なんとなく感じたところを撮っただけで後付けになりますが、
部長賞に選んでいただき、プリントを見てから気に入った写真の1枚になりました。
武蔵御岳神社
社伝によれば、創建はだい10代崇神天皇7年に
武渟川別命(タケヌナカワワケノミコト)が東方十二道を平定の時、
大己貴命・少彦名命をお祀りしたのが起源とされ、
奈良時代になり天平8年(736)僧の行基が東国鎮護を祈願し、
蔵王権現の像を安置したと伝えられる。
平安時代の延喜式神名帳には、
この地の地主神である大麻止乃豆乃天神社(オオマトノツノアマツカミヤシロ)として記され、
古くより関東の霊山として信仰されてきました。
山岳信仰の興隆とともに、中世・関東の修験の中心として、
鎌倉時代には有力な武将達の信仰は厚く、金峰山御嶽蔵王権現の名によって信仰を集めました。
特に鎌倉時代の武将 畠山重忠の崇敬は厚く、鎧・鞍・太刀などが奉納され、
国宝の赤糸威大鎧は重忠奉納と伝えられます。
その後兵火で荒廃しましたが、四条院の勅命により文暦元年(1234)散位大中臣国兼が派遣され、
中興の祖と伝えられています。
その後、延文4年(1359)管領足利基氏により社殿修築、
永世8年(1511)三田弾正忠平氏宗により社殿が建立されました。
天正18年(1590)、徳川家康公が関東に封ぜられると、
朱印地三十石が寄進され、家康の命により、大久保岩見守長安を普請奉行として社殿を改築。
南向きであった社殿が、これ以降江戸の西の護りとして、東向きに改められました。
慶長11年(1606)現在の幣殿拝殿は元禄13年
(1700に徳川幕府5代将軍綱吉の命によって造営されたものです。)
人々の社寺詣でが盛んになるとともに、御師によって講も組織され、
御嶽信仰が武蔵・相模を中心に関東一円に拡がっていきました。
そして、明治維新により御嶽蔵王権現改め、明治7年(1874)御嶽神社の社号となり、
更に昭和27年(1952)、武蔵御嶽神社と改め現在に至っています。
(武蔵御岳神社ホームページ引用) Copyright(C) 2005 Musashimitake-jinja. All rights reserved.
倶楽部と皆の初詣
今回は、昨年の靖国神社とは趣が随分と違いましたが、
霊験あらたかな神社の風格とその歴史においては素晴らしいものがあり、
今年もみんな健康で、楽しく素敵な写真ライフがすごせますようにと、祈念したことと思います。
撮影を終えて
狭い場所と思っていたのですが、実際歩くとなかなか簡単には制覇できない広さがありました。
出会い、語らい、巡り合いでいろいろと発見があり、楽しい半日でしたが、
とても長い時間だったように感じました。
御岳神社からの眺望も素晴らしく、日の出、日の入りがきれいだろうと想像できたので
また来てみようと思いました。
帰りの集合に集まった部員にも光芒が下りてきていて、
光降り注ぐ一日の締めくくりの挨拶です。
昼食会
村の有名店「玉川屋」さんで、昼食会。
蕎麦をメインに、あゆの塩焼きや郷土料理も美味しく頂きました。
帰路
御岳駅からそれぞれの帰路につきました。
四季折々には、花々が咲き誇り、秋から初冬には、山が紅葉して素晴らしいところで、
また来たくなる神秘的な天空の街でした。
部長賞に選ばれた、部員の星野さんによる撮影会レポートです!!
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武蔵御嶽神社へ
JR青梅駅からさらに奥地に、JR御岳駅に着いたときはずいぶん遠いなって思いましたが、
さらにそこからもバスとケーブルカーで御岳山駅へ。
御岳神社へはそこから歩いて25分とまさに天空の城へ行った気分を味わえました。
新年に相応しい山岳信仰の地、天気も晴天で空気も澄み渡りきりっと張りつめた空気が
初詣にぴったりでした。
顔がこわばる寒さでしたが、皆さん笑顔で楽しい一日となりました。
部長挨拶
事務局から今回の御岳神社は、かなり遠いので集まらないと心配したけど、
多くの部員さんが集まってくれましたとのコメント。
部長からも、今年は今迄以上に、東京観光写真倶楽部に力を入れるとの表明と、
今後の倶楽部の方向性や写真展への考えが示されました。
まさに、一年のスタートを飾る言葉を頂いた感じです。
天空の街
滝本駅からケーブルカーで天空の街、御岳山駅へ、
そしてそこから御岳神社までは天空の街を歩いて25分、
神社までの街並みも神秘的な雰囲気と古くからの村の生活が感じられて、
切り撮りたいスポットがたくさんありました。
晴天で、山の上の青空が広がり強い光が降り注いでいたので、
どこを見渡しても光が溢れていました。
ちょっとした影を見つけると、光と影の境界が出来ていて、シャツターを切るのが楽しかったです。
御岳山荘
何気なく板塀をたどり、御岳山荘という看板の門構えが眼に止まったので、門の中をのぞいてみると、
強い光に照らされた庭が出てきました。
光と影の境界が出来ていたので、周りの板塀と門の中の庭を7ショット程撮りました。
今回、光と影の織り成すシーンを部長賞に選んで頂きました。
自分でも撮るときは、なんとなく感じたところを撮っただけで後付けになりますが、
部長賞に選んでいただき、プリントを見てから気に入った写真の1枚になりました。
武蔵御岳神社
社伝によれば、創建はだい10代崇神天皇7年に
武渟川別命(タケヌナカワワケノミコト)が東方十二道を平定の時、
大己貴命・少彦名命をお祀りしたのが起源とされ、
奈良時代になり天平8年(736)僧の行基が東国鎮護を祈願し、
蔵王権現の像を安置したと伝えられる。
平安時代の延喜式神名帳には、
この地の地主神である大麻止乃豆乃天神社(オオマトノツノアマツカミヤシロ)として記され、
古くより関東の霊山として信仰されてきました。
山岳信仰の興隆とともに、中世・関東の修験の中心として、
鎌倉時代には有力な武将達の信仰は厚く、金峰山御嶽蔵王権現の名によって信仰を集めました。
特に鎌倉時代の武将 畠山重忠の崇敬は厚く、鎧・鞍・太刀などが奉納され、
国宝の赤糸威大鎧は重忠奉納と伝えられます。
その後兵火で荒廃しましたが、四条院の勅命により文暦元年(1234)散位大中臣国兼が派遣され、
中興の祖と伝えられています。
その後、延文4年(1359)管領足利基氏により社殿修築、
永世8年(1511)三田弾正忠平氏宗により社殿が建立されました。
天正18年(1590)、徳川家康公が関東に封ぜられると、
朱印地三十石が寄進され、家康の命により、大久保岩見守長安を普請奉行として社殿を改築。
南向きであった社殿が、これ以降江戸の西の護りとして、東向きに改められました。
慶長11年(1606)現在の幣殿拝殿は元禄13年
(1700に徳川幕府5代将軍綱吉の命によって造営されたものです。)
人々の社寺詣でが盛んになるとともに、御師によって講も組織され、
御嶽信仰が武蔵・相模を中心に関東一円に拡がっていきました。
そして、明治維新により御嶽蔵王権現改め、明治7年(1874)御嶽神社の社号となり、
更に昭和27年(1952)、武蔵御嶽神社と改め現在に至っています。
(武蔵御岳神社ホームページ引用) Copyright(C) 2005 Musashimitake-jinja. All rights reserved.
倶楽部と皆の初詣
今回は、昨年の靖国神社とは趣が随分と違いましたが、
霊験あらたかな神社の風格とその歴史においては素晴らしいものがあり、
今年もみんな健康で、楽しく素敵な写真ライフがすごせますようにと、祈念したことと思います。
撮影を終えて
狭い場所と思っていたのですが、実際歩くとなかなか簡単には制覇できない広さがありました。
出会い、語らい、巡り合いでいろいろと発見があり、楽しい半日でしたが、
とても長い時間だったように感じました。
御岳神社からの眺望も素晴らしく、日の出、日の入りがきれいだろうと想像できたので
また来てみようと思いました。
帰りの集合に集まった部員にも光芒が下りてきていて、
光降り注ぐ一日の締めくくりの挨拶です。
昼食会
村の有名店「玉川屋」さんで、昼食会。
蕎麦をメインに、あゆの塩焼きや郷土料理も美味しく頂きました。
帰路
御岳駅からそれぞれの帰路につきました。
四季折々には、花々が咲き誇り、秋から初冬には、山が紅葉して素晴らしいところで、
また来たくなる神秘的な天空の街でした。