今朝の朝食、何を食べたっけ? (食べたのを忘れるまでいってないので、ひとまず安心??) と時々思う私にとって、事務局からの半年前の撮影レポート依頼に戸惑い。だが、写真を追い、記憶をたどり、書いてみた。中に記憶違いもあるかも知れません、ご容赦を。
利島を「としま」でなく「りしま」と読んでしまうほど何の知識も、関心も無かった利島がこの旅行が終わって、一番好きになった。
****
3回目の東京諸島撮影会、出発から4日目(9月20日(月))は最後の利島、新島から11:25発の大型船で利島に着いた。おわんをひっくり返したような姿に、かっこいい、かわいいと言うのが利島の第一印象。その島の姿は今朝の出発地新島のそれとは随分違っている。
下船しないでそのまま東京へ帰る岡松さん、五十嵐さん、谷川さんを皆で見送る。
この見送りの様子が何とテレビで放映されたのである。(最後の'TV放送'参照)
最初の式根島の約20名から、利島での参加は部長を含め8名の精鋭隊(?)でした。
民宿「しんき」の迎えの車で、宿に到着。車から降りての海の眺め、気持ちいい!。
休憩後、午後の撮影会開始。記念撮影をして、私は撮影3日目という事もあり、疲れをとるため昼寝をすることに。
元気な部長ら7名は撮影に出発。島の裏手の阿豆佐和気命神社(一番神社)、大山小山神社(二番神社)方面に行ったとか。
昼寝が終わって、皆に負けてはいられないと私も一人で撮影開始。
おわんを伏せたような島なので平坦な道はなく、すべて坂道という感じ。
まず目に付くのは石垣。人の頭ぐらいの楕円形の石を全て海岸から人力で担ぎ上げたとのこと。この島の歴史を感じさせ、その当時の人たちの汗が染込んでいるようだ。
もう一つ目に付くのが椿。「椿の島」の別名どおり。一面の椿の森。全部で約20万本とか。
花が咲く季節ではなかったが(花は1-3月)落ちる種を集めるブルーシートがあちこち敷いてあり、家の庭に集めた種を干している。
他の式根島などと同様、ここも校庭は芝生。教室の下には海が広がっていて、こんな教室で勉強してみたいと思う。
目を引いたのはJAの看板。「JA東京島しょ」とある。最初は意味が分からず「セコムしてますか?」の類で、東京しましょう? かな。と思ったり。東京都の本州部分以外の島の部分の呼称である事を知り、東京諸島がまた一歩身近に感じた瞬間であった。
夕食は美味しい海の幸をいただき、宿のご主人、釣り客の常連も一緒で、昔の島の様子などの話題で、楽しい夜の一時でした。
9月21日(火)、最後の日の撮影会は、港での日の出、と、下上神社(三番神社)方面車で。
島の人々は正月3が日に米とお神酒を持って、一番神様、二番神様、三番神様の順に参拝して、お供えをして廻るとのこと。神社は車道からササや木々のトンネルのようになった小道を辿ったその向こうに有った。鳥居が低く、かがまないと通れないのがユーモラスだ。
ドライブ途中、眼下に広がる椿の森の向こうに海が広がる景色は絶好の展望だ。
最後に、椿の精製所へ。ここでハプニングが起こっていた。その日、TVの撮影クルー('TV放送'参照)が来る予定になっていたが、椿を搾る機械の軸が折れてしまったのです。そんなあわただしい中、親切にも説明いただき、写真を撮らせていただいた。
そのお礼でもないが、もちろん、妻に椿油をお土産に買った、'JA東京島しょ'で。
午前中の撮影会も終え、いよいよ帰り支度。当初予定の14:50発のジェット船がシケ気味で運航が不確実のため、一足早い12時過ぎの大型船で帰ることになった。
港まで見送りに来てくれた民宿のご夫婦と島の人たちと一緒のところを撮らせていただいた。そこには島の穏やかな空気とゆっくりとした時間が写っているようで、この写真が今回の私の3島撮影会の中で一番好きな写真になった。(写真左から2,3人目が民宿のご夫婦)
今回の東京諸島は3島巡りでしたが、こぢんまりとしたこの利島が一番気に入った。
今度はもっとゆっくりと島全体を歩き回りたいと思う。椿の咲く頃来て、そして風景だけでなく、そこに生活している人たちをもっと撮りたい。
これで今まで東京諸島の5島を制覇し、数では半分以上だが、遠い大物が残っている。絶対全部行くぞ!!
ということで、私の記憶辿りはお終いです。いつもながら部長はじめ、事務局の皆さん、そしてサポートしていただいた皆さん、楽しい観光をありがとうございました。そしてお疲れ様でした。
(2011.04.10記/水原和夫)
TV放送:
BS朝日の「ロハスジャーニー in伊豆諸島・利島」(10月放映)の番組のため撮影クルーが利島に来ていました。その放映の中で利島へのアクセスとして大型船を紹介するコーナーで、利島に着きその船でそのまま東京へ帰る3人を見送っている我々を入れた大型船の出航風景が使われたということです。番組ではお世話になった民宿のご主人が、漁業組合長として奥さんと共に写っていました。三宅島の時も、NHKのクルーが来ており、お世話になった観光協会の部長さんがその後の放送で出演されていました。そのうち、我々撮影会がTVに取り上げられるかもしれませんね。
利島を「としま」でなく「りしま」と読んでしまうほど何の知識も、関心も無かった利島がこの旅行が終わって、一番好きになった。
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3回目の東京諸島撮影会、出発から4日目(9月20日(月))は最後の利島、新島から11:25発の大型船で利島に着いた。おわんをひっくり返したような姿に、かっこいい、かわいいと言うのが利島の第一印象。その島の姿は今朝の出発地新島のそれとは随分違っている。
下船しないでそのまま東京へ帰る岡松さん、五十嵐さん、谷川さんを皆で見送る。
この見送りの様子が何とテレビで放映されたのである。(最後の'TV放送'参照)
最初の式根島の約20名から、利島での参加は部長を含め8名の精鋭隊(?)でした。
民宿「しんき」の迎えの車で、宿に到着。車から降りての海の眺め、気持ちいい!。
休憩後、午後の撮影会開始。記念撮影をして、私は撮影3日目という事もあり、疲れをとるため昼寝をすることに。
元気な部長ら7名は撮影に出発。島の裏手の阿豆佐和気命神社(一番神社)、大山小山神社(二番神社)方面に行ったとか。
昼寝が終わって、皆に負けてはいられないと私も一人で撮影開始。
おわんを伏せたような島なので平坦な道はなく、すべて坂道という感じ。
まず目に付くのは石垣。人の頭ぐらいの楕円形の石を全て海岸から人力で担ぎ上げたとのこと。この島の歴史を感じさせ、その当時の人たちの汗が染込んでいるようだ。
もう一つ目に付くのが椿。「椿の島」の別名どおり。一面の椿の森。全部で約20万本とか。
花が咲く季節ではなかったが(花は1-3月)落ちる種を集めるブルーシートがあちこち敷いてあり、家の庭に集めた種を干している。
他の式根島などと同様、ここも校庭は芝生。教室の下には海が広がっていて、こんな教室で勉強してみたいと思う。
目を引いたのはJAの看板。「JA東京島しょ」とある。最初は意味が分からず「セコムしてますか?」の類で、東京しましょう? かな。と思ったり。東京都の本州部分以外の島の部分の呼称である事を知り、東京諸島がまた一歩身近に感じた瞬間であった。
夕食は美味しい海の幸をいただき、宿のご主人、釣り客の常連も一緒で、昔の島の様子などの話題で、楽しい夜の一時でした。
9月21日(火)、最後の日の撮影会は、港での日の出、と、下上神社(三番神社)方面車で。
島の人々は正月3が日に米とお神酒を持って、一番神様、二番神様、三番神様の順に参拝して、お供えをして廻るとのこと。神社は車道からササや木々のトンネルのようになった小道を辿ったその向こうに有った。鳥居が低く、かがまないと通れないのがユーモラスだ。
ドライブ途中、眼下に広がる椿の森の向こうに海が広がる景色は絶好の展望だ。
最後に、椿の精製所へ。ここでハプニングが起こっていた。その日、TVの撮影クルー('TV放送'参照)が来る予定になっていたが、椿を搾る機械の軸が折れてしまったのです。そんなあわただしい中、親切にも説明いただき、写真を撮らせていただいた。
そのお礼でもないが、もちろん、妻に椿油をお土産に買った、'JA東京島しょ'で。
午前中の撮影会も終え、いよいよ帰り支度。当初予定の14:50発のジェット船がシケ気味で運航が不確実のため、一足早い12時過ぎの大型船で帰ることになった。
港まで見送りに来てくれた民宿のご夫婦と島の人たちと一緒のところを撮らせていただいた。そこには島の穏やかな空気とゆっくりとした時間が写っているようで、この写真が今回の私の3島撮影会の中で一番好きな写真になった。(写真左から2,3人目が民宿のご夫婦)
今回の東京諸島は3島巡りでしたが、こぢんまりとしたこの利島が一番気に入った。
今度はもっとゆっくりと島全体を歩き回りたいと思う。椿の咲く頃来て、そして風景だけでなく、そこに生活している人たちをもっと撮りたい。
これで今まで東京諸島の5島を制覇し、数では半分以上だが、遠い大物が残っている。絶対全部行くぞ!!
ということで、私の記憶辿りはお終いです。いつもながら部長はじめ、事務局の皆さん、そしてサポートしていただいた皆さん、楽しい観光をありがとうございました。そしてお疲れ様でした。
(2011.04.10記/水原和夫)
TV放送:
BS朝日の「ロハスジャーニー in伊豆諸島・利島」(10月放映)の番組のため撮影クルーが利島に来ていました。その放映の中で利島へのアクセスとして大型船を紹介するコーナーで、利島に着きその船でそのまま東京へ帰る3人を見送っている我々を入れた大型船の出航風景が使われたということです。番組ではお世話になった民宿のご主人が、漁業組合長として奥さんと共に写っていました。三宅島の時も、NHKのクルーが来ており、お世話になった観光協会の部長さんがその後の放送で出演されていました。そのうち、我々撮影会がTVに取り上げられるかもしれませんね。